舞台映えしすぎる役者・ジェシー(スタンディングオベーションを見に行った話)
秋元康が作る舞台は
「Theエンターテインメント」
でした。
冒頭の演出も舞台上のセットも全て テレビ的 で、分かりやすくて笑いやすい。一見複雑な劇中劇がちゃんと分かるように組み立てられてて普段舞台見ない人も楽しめそう。
以下、ネタバレ含む
さあ、モニターをいくつも使いTBSのワイドショーの映像と臨場感溢れるリポーターの音声を使った現代的なオープニングが終わり、スタンディングオベーション本編の冒頭、座長ジェシーの一人語りから始まる訳ですが、コメディーによくある、周りの人は時が止まっていて動かず主役だけがつらつらと語り始めるあれ。
いつもとは違う口調でスラスラと話し始める「鳴島誠也」がそこにはいました。
連日昼夜二公演に加えてレギュラー番組の収録、ラジオ、モデル、アイドル誌の撮影等、ハードスケジュールによって、生放送のラジオでは大分掠れていた声が、初めて聞いた人なら分からないくらいきちんと発声されていて(無理してる感は否めないが)もう既に泣きそうになりながら(全肯定とまではいかないがオタクとはそういうもの)物語は進んでいった。
印象的だったのは、業界や舞台観劇、オタクあるあるが色んなところにセリフとして散りばめられていたこと。
「僕大手事務所所属なんで、いきなり主役なんですよ」
「チケットを手に入れるために転売ヤーから高額買取した!?」
「(いきなり始まる歌やダンスの説明として)大人の事情で……」
役者本人と役をリンクさせるの、めちゃめちゃジャニーズの舞台ぽい!!(見たことは無い) 出演者本人の色んな事情までセリフにしてしまう所、なんか聞いたことあるー!
父から受け継ぐ 血 の話を割と重要な場面で採用したのも、まさか彼がずっと日本人とは 違う と言われコンプレックスだったということを踏まえてのことなのか…???
深読みですがなぜか既視感のある演出がちらほらと。見に来る人にオタクが多いということで見やすいようにそうしたのかも?と考えた。
いやはや、しかしそれにしても彼は本当にスタイルが良い。あなたが必死でカバーしようとした 血 はしっかりと今多くの人を魅了しているよ、と言いたくなるほど。
あの金髪の長髪や国王の重厚感ある衣装が似合うのは本当に素晴らしい。
惚れそう。
元々それ着てた?ってくらい自然。
舞台映えする骨格と顔立ち、
「やっぱり似合う〜!!!」と興奮しました。 そして、劇中劇で75歳の国王ジョージ二世を演じている時の声。そりゃあんな声出してたら声も枯れるわ!と納得した。ダミ声と言うのか、2時間半の舞台でほとんどその声なんだもの。どうか京都までの間に良くなりますように。
そして、大人の事情で突然踊り出すダンスにも興奮。彼特有の長い手足と柔らかい肩関節と脊椎をフルに使った個性溢れる踊り。
そりゃいきなり踊り出すよ。
こんなの絶対披露した方がいいもん。
私がそれ以上に感動したのはダンス同様突然始まる歌。
いつもの歌謡曲を歌うような歌い方じゃなく、ミュージカル調の、腹から声出す歌い方でした。
いや、歌上手〜〜〜〜〜〜!!!
声、良〜〜〜〜〜〜!!!!!!
ACTシアターに響き渡る彼の歌声は圧巻でした、ぜひミュージカルにも挑戦して欲しい。(この公演を小池修一郎氏が見に来ていたらしいので密かな期待を抱きつつ……)
金色の長髪が似合うので、もう少し経験と歳を重ねたらトートなんて良いんじゃない…?なんてね……
死に誘うジェシーを見たすぎるのでね……
そして、後半の重要なシーンでは本当に鳴島誠也がそこにいた。犯人が分かっていながら舞台を最後まで続けると決断した役者と制作陣、刑事の二人。全員の思いを背負っていつもとは少し違ったステージに立ち続ける鳴島誠也と、息子へ素直な気持ちを伝えるジョージ二世が、重なり合う瞬間。
古典戯曲がいきなり少年漫画風のアドリブになる演出には笑ったけど涙ほろりしてしまったな……
The 起承転結のストーリーも、現代的な演出も、小ネタがたくさんのセリフも、ほんとに楽しかった!沢山笑った!
けど、やっぱり一番やられたのは、彼が舞台に立つことで感じられるオーラ、スポットライトが似合いすぎる存在感、ジョージ二世を演じている時の国王の風格漂う立ち居振る舞い、厳格な国王がいたと思ったら舞台袖のセットになった瞬間役と実年齢の乖離に葛藤する若手アイドル俳優へ様変わりする演じ分け、それら全てを一気に感じさせる座長の「本域」感。
バラエティーもドラマももちろん良いけど、ライブとはまた違う「舞台」に立つ時の彼をもっと見たいと思った。あのスタイルと華を持っていながら映像作品に留まるのは本当にもったいない。
SixTONESのジェシーは言わずもがな大好きだけど、堅く守られた分厚い堀の外に放り出された「ジェシー」もやっぱり素敵だった。
(そうは言っても劇中でメンバーの存在を伺わせるセリフがあったり本人はあくまでも ジェシー(SixTONES)の表記をそのまま背負ったような感覚だと思う)
「自分が推している人が出ている作品はもうフラットな気持ち(どうしても贔屓するし視点は偏る)では見れないな…」
と思うことが今まで何度もあったので、今回も
「結局ジェシーが出てれば何でも面白く感じてしまうんだろうな」
と思いながら足を運んだんだけど、そう思うのは失礼でした。めちゃくちゃ面白かったです。多分ジェシーが主演じゃなくても面白かったです。脇を固める布陣が最強でした。寺脇さん木場さんの安定感、シリアスもコメディーもめちゃくちゃ面白かったです。
幼稚園の頃再放送の相棒で寺脇さんのことめちゃくちゃ好きでした。(なんの告白?)
ありがたいことにもう一度見る機会があるのでその時はオペラグラスを持参して細かい表情を見ようと思います。牧田さんお顔が良すぎて追っちゃいそう。 とにかく主演の彼のオーラと技量に感服。 とっても有意義な2時間半でした。
ただの大学生が考える「推す」という概念
こんにちは。
Haoです。
初めてのはてなブログです。
駄文ですが読んで頂けたら喜びます。
尚、推し事に限らず周りを見渡すことは
重要だと、今朝(2020.09.27)のニュースを
見て感じましたので幅広い解釈をして頂けたら
幸いです。
では、どうぞ。
SixTONESを応援するにあたって私が考える推すという概念
大前提として、
彼らが私の人生の軸になることはあってはならない。
いつぞやのすとーんずのぶろぐにて、
松村北斗氏の、
「人生の息抜きの瞬間、SixTONESがそばにいれればと思っております」
(たしかこんな感じ)
という言葉が、記憶に残っている。
というか、私の脳味噌にその文章が強烈に入り込んできたのを、覚えている。
今まで、アイドルは愚か誰かを推すという経験が無かった私は、彼らを推すことが人生の主軸になり得るという事実も信じ難かったが、もっと驚いたのは、推される側が推す側に自らをただの「息抜き」と半ば夢から目覚めさせるような一言を、自身のブログで、文字で、記録に残していたことだった。その一文を見て私が感じたことはただ一つ。
「こいつら、間違いない。」
(彼らのCMの言い回しをここぞとばかりに使います)
アイドルが、登録している人なら誰でも読めるブログでそんなこと言うか……?
言ってしまえば、
「俺らのために生きるんじゃなくて自分のために生きてね、のめり込むまで好きにはならないでね」
ということでしょ…?(私の解釈)
私は割と現実思考なので、熱狂的ファンは、時として良い金づるだと認識されることがあると考えている。どんなにこちらが彼らのことを好きでも、彼らに救われていても、運営から見れば、(あえて言うが、タレント本人から見ても)消費者の一人に過ぎない。もっとも、私情を挟まず事実だけを並べると、の話だが、どこまで行っても私たちは消費者であり、彼らは生産者である。
ここからは、私情を挟みまくった見解。
なぜ私が
「こいつら、間違いない。」
と感じたかといえば、
「ファンを人として認識し、その先にあるそれぞれの生活まで想像していた。」
から。
彼らは、ファンが彼らのグッズやCDを買ったりするお金をどのようにして作り出しているか、また、どのようなマインドで彼らを「推して」いるかまで、考えが及んでいる。
おそらく今まで、アイドルという仕事についてたくさん考えてきたのだろう。
アイドルの存在意義、アイドルを続ける理由、挙げればキリがないが、世間に見つかるまでに時間がかかった彼らだからこそ及んだ考えがあるはずだ。
そこにはもちろん、古くから応援し続けているファンの方々と彼らの、一言で語るには足りない関係性や、その先人たちから脈々と受け継がれているteamSixTONESと言われる所以たる「推し方」の影響もあるだろう。
かの有名な、team SixTONESの合言葉。
「事務所が推さないならファンが推す」
正直、ジャニーズのファンがここまで反骨精神を持って泥臭く応援しているとは思わなかった。(偏見)
この話もいずれ書きたいと思っているが、ひとまず今回は「推し方」にフォーカスして書いていく。
アイドル本人に「息抜き」なんて言われてしまったら、ファンは言われた通りに自分の人生をしっかり生きた上で彼らを応援しなくてはならないじゃないか。少なくとも私はあの一文を読んでそう思った。
自分の人生をしっかり生きる…………
つまり、推すことだけが全てではない、自分の職業はあくまでもエンターテインメントで、それは人生の中で余白の部分にあるべきだ、と彼は言いたかったのではないか。
完全に深読みの解釈だが、余計な深読みをするのも趣味の一つだと言い訳をして思考を巡らせる。
これが実現できているかはさて置き、わたしがSixTONESを推すにあたって心がけていることがある。
それは、「盲目的にならない」ことだ。
人を好きになるとどうしてもその人の全てが完璧に見えるし、ライブに行けば我を忘れて騒ぎ、否定的なことを言われるとなぜか「敵」に見える。
敵が多いほど信仰心は高まるし、私が応援しなきゃと文字通り「盲目的」になる。
大学生になるまでジャニーズとジャニーズファンに偏見を持っていた私は、この好きと言う気持ちが行き過ぎると世間と隔たりを生んでしまう原因になることを知っている。
実際に SixTONESのファンになると、その生きずらさは想像以上だった。しかし同時に、この世界の住人たちは想像していたよりずっと優しくて、温かくて、愛に溢れていた。
無知。
それは無意識に人を傷つけ、自分の世界を狭くする。
すみません。無駄にかっこつけました。
なぜ私がこれほど「盲目的にならない」ことを心がけているかと言うと、ズバリ、 SixTONESがそうだから。彼らはこれまでジャニーズが成し得なかったような結果を、YouTubeという新たな土俵で残してきた。デビューを果たしてからは先輩方と同じ土俵で互角の結果を残している。
普通なら調子に乗りそうな場面でも、常に外に目を向けて、地に足を着けながら積み重ねてきた。
そう、私たちが応援しているのは、
「地に足着いてる系アイドル」
もしくは
「立場わきまえてる系アイドル」
なのだ。
私が彼らに惹かれた一つでもあるこの要素は、
「客観視することに長けている」
とも言える。
決して順調では無かった長い芸能生活の中で彼らが身につけた、自分の位置を正確に把握する能力は、誰もが持っているものではない。
様々な偏見や固定観念を覆してしまうほどの実力と魅力を持った彼らだからこそ、そのチャンスをファンが妨げることは絶対にしたくない。
ジャニーズファンの中で常識的なそれは、端から見れば実は異常なことかもしれない。
長い時間をかけて築かれた歴史ある事務所と独特の世界観だからこそ、背中合わせにして手を繋いでいる六人を応援しているからこそ、内輪だけでなく広い世界に目を向けていたい。彼らは私たちを魅了してその世界に引き込むけれど、私たちには私たちの生活があることを知っているし、気にかけてくれている。
ラフにラブを。
なんて出来たアイドルだろうか。
それならばファンは、
彼らの望む姿であるだけだ。
私たちの人生の主役はSixTONESじゃなく、
いつでも自分自身であり、彼らもそれを望んでいる。
ただのオタクの妄想に過ぎないが、私はこうして私を保っている。
そして、少なくともこれまで私がTwitterで出会ってきたSixTONESのファンの方々は、それぞれのフィールドで培った技術を彼らに還元し、自分なりの方法で応援している。
これらはきっと、彼らがこの合言葉を言い続けてくれたおかげだし、長い間彼らを応援し続けてくれたファンのおかげだ。
良くも悪くも簡単に声が届いてしまう今の世の中、難しいことも多々あるが、私たちが応援す彼らのように着実に、そして誠実に生きていきたい。
長々と書き連ねてきたが、ここまで読んでくれた方は果たして何人いるのだろうか。
結論はいいつもただ一言。
SixTONESが好きだーーーーーーーー!!!!!!
以上、大学二年生のガキの妄想でした。